「え……? 今、何て言ったんですか?」アクリル板越しにいる京極に飯塚は目を見開いて尋ねた。「ええ、飯塚さん。僕が貴女の身元引受人になりました。住まいも提供しますから、安心して出所出来ますよ。当日は僕が迎えに来ますから」京極は笑みを浮かべる。 「ちょ、ちょっと……! 何勝手に話を決めているんですか!」「駄目でしたか? 以前伺った話では身元引受人も、住む処も何も決まっていないと言ってましたよね?」「ええ、言いましたけど……。でも本気で言ってるのですか? 私は貴方の妹の姫宮さんを刺して大怪我を負わせた犯罪者ですよ? 何所の世界に身内を襲った人間の身元保証人になる人がいるんですか!?」「落ち着いてください。あまり興奮して刑期が伸びたりしたらどうするんですか?」京極の言葉に飯塚の顔色が変わった。「え……? ま、まさか……冗談ですよね?」「ええ、勿論冗談ですよ? そのくらいで刑期が伸びる訳ないじゃありませんか」「! あ、貴方って言う人は……!」思わず飯塚はカッとなり……溜息をついた。「分りました……もういいですよ。好きにして下さい。どうせ私には選択権は無いんですよね?」そう、飯塚にはもはや京極意外頼れる人物は誰もいなかった。飯塚は逮捕された時点で家族からも親戚からも縁を切られてしまったのだ。「ええ、そうですね。貴女には選択権はありません。でも別に僕は貴女にどうこうするつもりはありません。ただ貴女の力になりたいだけですから」京極は真剣な目で飯塚を見た。「わ、分かりましたよ。そこまで言うならお言葉に甘えさせていただきます」「ええ。何も心配せずに身体一つで出所してきて下さい。それではそろそろ今日は帰りますね。この後会議が入っているので」そして京極は椅子から立ち上がると、お辞儀をして立ち去っていく。「本当に……変な人……」飯塚はポツリと呟いた――**** そしてあっという間に時は流れ、年始明け……飯塚が出所する日が訪れた。今までお世話になった人々に挨拶を終えた飯塚は門へ向かって歩き始めた。この日は雲一つ無い、カラリと晴れた青空だった。飯塚は空を見上げ、思い切り深呼吸すると息を吐いた。そして門を見ると既にそこには京極の姿があった。飯塚はゆっくり歩き……やがて京極の前に立った。「京極さん、今日からどうぞよろしくお願いします」飯塚は頭
京極が日本に帰国してから早いもので一月が経過していた。そして今日も又京極は東京拘置所に収監されている飯塚の面会に訪れていた。「また来たんですか? 物好きな方ですね」相変わらず不機嫌そうな顔をした飯塚が視線も合わせずに言う。「言ったじゃないですか。週に一度は必ず来ますって」アクリル板越しに京極は笑みを浮かべる。「大体一般人は平日しか面会には来れないんですよ? 京極さんはお仕事されていないんですか?」「いいえ、してますよ。IT関係なので在宅で仕事をしています。なのでいつでも面会に来ようと思えば来れるわけです」「そうですか」たいして興味がなさそうに飯塚は返事をする。「ところで聞きましたよ。飯塚さん。来月、仮出所できるそうですね。おめでとうございます」もうじき刑期が終わるのだ。さぞかし飯塚は喜んでいるだろうと京極は思っていたのだが、飯塚の返事は予想外の物だった。「何がめでたいんですか? まだ誰も身元引受人が決まってもいないのに。行く当てだってありません。だから正直な話、私はここを出たくは無いんですよ」「え? そうだったのですか?」京極はその話に驚いた。てっきり飯塚には既に身元引受人が決まっていると思っていたのだ。「まぁ……今探し回ってくれているみたいですけどね」その口ぶりはまるで全てを諦めたような、どうでもよい口ぶりに思えた。「……」京極はそんな様子の飯塚を少しの間、無言で見つめていたが……やがて立ち上がった。「すみません。飯塚さん。用事を思い出したので今日はもう帰りますね。ああ……そうだ、飯塚さんに差し入れを持ってきているんです。占いの本を持ってきたので良ければ読んでください。後他に雑誌のクロスワードも持ってきましたよ」「はぁ? 占いの本……? 何故そんな本を持ってきたのですか?」飯塚の言葉に京極は首を傾げた。「駄目でしたか? 女性は皆占いに興味があると思っていたのですが……。占いと言っても手相の本ですよ。勉強になると思うので。それではまた来週伺いますね」京極はそれだけ言うと、飯塚の返事も聞かずにさっさと帰ってしまった。それを見た飯塚は不機嫌そうにつぶやいた。「何よ、あれ……随分自分勝手ね……」**** その日の夜――京極は身元引受人の条件について調べていた。「……そうか。これなら何とかなりそうだな…」時計を見る
10月某日 14時―― 京極正人の姿が羽田空港に現れた。「久しぶりの日本だな……」サングラスを掛けた京極はポツリと呟いた。 4年前のあの日。飯塚咲良による姫宮静香の傷害事件の後、京極は会社を二階堂に託して1人海外へ渡航した。約4年の間に京極は世界各地を放浪し、本日羽田空港へと降り立った。何故、今回日本に帰国することになったのか……それは京極が思いを寄せていた女性、朱莉が鳴海グループ総合商社の次期社長に任命された各務修也と結婚することを知ったからであった――サングラス姿にラフなジャケットを羽織った京極は以前とはまるで雰囲気が変わっていた。4年もの間、海外で放浪生活をしていただけのことがあり、ある種独特な箔が付いていた。京極の荷物は小さなトランクケース1つのみ。残りの荷物は全て新居に送っていた。そして京極の新しい新居は東京都の葛飾区にある、2LDKのマンションであった。「さて、行くか……」京極は荷物を持つと、タクシー乗り場へと向かった。「お客様、どちらまで行かれますか?」タクシーに乗ると中年男性の運転手が声をかけてきた。「東京拘置所までお願いします」その言葉を聞いたタクシー運転手は肩をピクリとさせ……ゆっくり振り向くと尋ねた。「あの……もう一度お尋ねしますが……どちらまででしょうか?」「ええ、東京拘置所です」京極は笑みを浮かべて再度答えた――**** 京極は4年前からずっと月に1度、東京拘置所にいる飯塚に手紙を書いて送っていた。それは全て謝罪の手紙であった。京極は責任を感じていたのだ。自分が飯塚を煽ったことで、静香に姫宮に対する憎悪を募らせ……ついには刺傷事件を起こすまでに至った。その経緯は全て自分にあると思っていた。なので世界中何処にいても一度たりとも飯塚を忘れたことは無かった。常に罪悪感にさいなまされていたのだった。そして今回、朱莉が結婚する話を姫宮からの連絡で知り、日本に帰国するに至ったのだった。 姫宮からの連絡を貰った時、京極はインドネシアにいた。そこで小さなIT会社を設立し、15人の現地の人間を雇って経営を行っていたのだ。そして今後は少しずつ日本でも従業員を雇っていく予定なのである。 タクシーの中でウトウトしていた京極は不意にタクシー運転手に声をかけられた。「あの……お客様。着きましたが……」「あ、ああ
航は万年筆を強く握りしめている。「これはな……ペンの形をした小型ボイスレコーダーなのさ。こんなに小さいけど高性能なんだぜ?」「な、何だって!?」南の顔が青ざめた。「お前が現在付き合っている社長令嬢と社長を見つけるなんてこの俺にかかればどうってことは無い。その2人にこの音声を聞かせたらどうなるかな? こんな高圧的なものの言い方をする男なんて、捨てられるだろうな? いや? それどころか適当な理由をつけられて最悪会社もクビにされるかもなぁ?」「くっ……こ、この俺を脅迫するつもりなのか?」南は悔しそうに航を見た。「は? 脅迫? 別にそんなのは考えてねーよ。ただな……もう茜と別れろって言ってんだよ。お前のせいで茜が苦しめられてるのまだ理解出来ないのかよ?」ガタンッ!いきなり南が席を立った。「え……? 南君?」茜は南を見上げた。「……」南は黙って茜を見下ろしていたが……。「全く……お前みたいな女と付き合う物好きな男が俺以外にもいたんだな?」「!」茜はその言葉に肩をビクリと震わせた。「じゃあな」南はそれだけ言うと、カバンを掴んで去って行った。 「……」茫然と座っている茜に航は声をかけた。「大丈夫か……茜?」「え……? あ! は、はい! だ、大丈夫……です……」しかし、最後の方は涙声になっていた。「茜……」航は茜の打ちひしがれた姿がどうしても朱莉とかぶってしまい、放っておけなかった。「よし……行くぞ」航は茜の手を取ると立ち上がった。「え……? 行くって……何処へ?」すると航は言った。「何処って……海だよ!」「海……?」****「航君、本当にここで花火するんですか?」バケツを持って歩く航の後ろをコンビニで買った手持ち花火を持って茜がついて来る。「ああ、2人で一緒に海を見ながら花火をしようぜ」航は振り返った。「は、はい……」「ほら、茜。もっと岩場の近くで火をつけないと風で消されるぞ?」「で、でも……足場が悪くて……キャアッ!」茜がバランスを崩して転びそうになった。「茜!?」航は急いで茜を抱き留めた。「おい……大丈夫だったか?」「……」しかし、茜から返事は無い。「茜?」すると茜は航の胸に顔をうずめた。「お、お願いです……わ、航君……少しだけ……このままでいて貰えますか……?」茜は泣いていた
「お前……さっきから随分失礼なことばかり言う男だな?」南は茜を見るとさらに続ける。「おい、茜! お前何だってこんな男と付き合い始めたんだ!? 自営業なんて言ったって見るからにこいつは怪しい男だと思わないのか!? 全く相変わらずどんくさい女だな。だからお前には俺が付いていないと駄目なんだ」「ご、ごめんなさい……南くん……」茜は南の大声にビクリとなり、俯いた。その様子を見て航は嫌な予感を抱いた。「おい、お前……いつもそんな横柄な口を茜に聞いていたのか?」「は? 何言ってるんだ? こんなのは別に普通だろう?」南が眼鏡の位置を直した時――トゥルルルルル……どこからともなく着信音が聞こえてきた。3人は互いに顔を見渡し……航は言った。「おい。お前に電話がかかってきているぞ?」すると南はチッと舌打ちをしてスマホをカバンから取り出し、眉をひそめた。「出ないのか?」「ああ……いいんだ」しかし南はソワソワしているし、いまだに電話は鳴りやまない。「おい、俺たちに構わずに出た方がいいぞ?」すると南は声を荒げた。「今何て言った? 俺たちに構わずにだと? ふざけるな! 茜とお前を一緒くたにするなよ!」航はそれに答えず、黙って腕組みをしながら南の様子を見つめていた。やがて電話は鳴り終わったが、再びすぐに南の電話が鳴り響く。「また電話が鳴ってるぞ? もういい加減出てやれよ。どうせ女からだろう?」航の言葉に南はピクリと肩を動かした。「南くん……その電話の相手って社長令嬢なんじゃないの?」茜の言葉に南は茜をギロリと睨み……渋々スマホをタップした。「もしもし……」そして南はこちらをチラチラ伺いながら応答している。「ああ、分かってるよ。明日だね……? うん、今ちょと取り込み中なんだ。また後で電話するから。それじゃ……」南は電話を切ると、溜息をついた。その様子を見て航は問い詰めた。「お前、本当はもう付き合っているんだろう? 今の電話の女と」航の言葉に茜は驚いた。「え? そ、そうなの!?」「……」しかし南は黙っていて答えない。「ほらな、返事をしないってことは……肯定を意味してるんだよ」すると南はイライラした様子で航を睨みつけた。「別に付き合っているわけじゃない。ただ、どうしても断り切れなくて一緒に食事に出かけたり……お酒を飲みに行ったりした
「ここに茜と『南大輔』って男がいるのか……」航はファミレスの看板を見上げると呟いた。先ほど茜からかかってきた電話で、自分の住むマンションからほど近いファミレスにいるから来て欲しいと言われたのだ。「さて、行くか」航はファミレスの入り口をくぐった。「茜の奴……一体どこにいるんだ?」店内は広々としており、なかなかの盛況ぶりであった。その為、航は茜の姿を見つけることがなかなか出来ずにいた。するとその時……。「航君! こっち、こっち!」航の背後で茜の声が聞こえてきた。振り向くと茜は座席から立ち上り、少し恥ずかしそうに手招きしている。背広を着た相手の男性は航に背を向ける形で座っている為にここからではその表情を見ることが出来なかった。「ああ! 今行く!」航は返事をすると、茜のいる席へ向かうと当然の如く隣の席に座り、正面の席に座る男性を見た。(へえ~この男が茜の彼氏か。何だか俺の想像よりも斜め上をいっているタイプだな……)航の想像していた『南大輔』という男は、サラリーマンで年上と聞いていたので、琢磨や修也のようなタイプの男かと思っていたのだが、目の前に座る『南大輔』はそのどちらにも当てはまらなかった。ヘアスタイルは後ろを短く借り上げており、額を見せたワイルド・ツーブロックに眼鏡をかけた人物だった。(随分生真面目そうな男だな……社長令嬢に惚れられたって聞いていたから琢磨のようにチャラチャラしたタイプの男だと思っていた)航は自分のことを差し置いて、勝手に琢磨のを持ち出して目の前の南大輔と比較していた。けれど別に琢磨はチャラチャラしたタイプの男では無かった。ただ、人目を惹く外見で妙に女性たちから一方的に好意を寄せられていた人物だった為に航が勝手にイメージしていただけなのである。一方の南は航があまりにもぶしつけにジロジロと自分を見るので、正直気分は良くなかった。その為、つい険しい目で航を見ている。「あ、あの……航君。この人が……その……」茜はそんな雰囲気の悪い2人の空気を察し、紹介しようとしたところ、南が口を挟んだ。「よろしく、俺は『南大輔』だ」そして腕組みをすると、航を値踏みするようにじろりと見た。「俺は安西航だ。よろしく」何をどうよろしくするのかは分からないが、2人の男は視線を交わした。南は航を一瞥すると言った。「ひょっとして君はフリーター